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日有上人はラララらい病

大聖人は6人の弟子は勿論その他にも御筆の御本尊を授与されておられるのですから日興上人へも身に宛てた本尊を授与されたのでしょうね。大聖人の御筆本尊(御真筆)は現在何鋪くらいあるのですか

御筆本尊は現在、日本中にあるものを集録いたしますと160鋪あり、大石寺系の寺院には『富士要集史料』によると、

 大石寺   11鋪

 小泉久遠寺 2鋪

 保田妙本寺 1鋪

 京都要法寺 1鋪

 仙台仏眼寺 1鋪

 讃岐法華寺 8鋪

 西山本門寺 1鋪

 合計26鋪となっておりますが日興上人に宛てて授与されたのは1鋪です。ただし、それは板本尊ではなくて京都要法寺の重宝となっております。

日蓮正宗では、弘安2年の御筆でなくては有り難くもなければ御利益もない、無功徳だと言うのですが要法寺所蔵の日興聖人へ宛て授与された御本尊は、「文永九年大歳壬申正月元旦」の御筆である。そして、授与の文には

「問答第一行戒智徳筆跡付法の沙門日興に之を授与す」

と御本尊に書き入れてある

日興上人に宛てて賜る本尊は現存するものは要法寺のこの1鋪だけです。学派流で申すなら無功徳で無利益のものかもしれぬが弘安2年の御筆でないことは残念ですね。

「弘安二年の御筆が本懐の本尊だ。他は偽物だ。無益だ」というのですが、弘安2年の御筆は国重に宛てた板本尊1鋪だけですか

弘安2年10月の御筆になった御本尊は3鋪、現存しているのです。しかし、これまた残念ながら、大石寺にはないのです。また、この現存している3鋪の本尊は「日興上人の身に宛てて賜る」ものではありません。弘安2年の御筆は、

 妙顕寺日徳上人 1鋪

 沼津妙海寺   1鋪

 千葉安国会   1鋪

弘安2年以前の御筆が9鋪あるんですよ。日興上人に「身に宛てて賜る」御本尊とは現存するものは要法寺1鋪だけです。板本尊は、弥四郎国重に宛てたものであることは板本尊に彫ってあるとおりですが大衆からは見えないのですよ。

日蓮正宗では、何故、弘安2年10月12日の御筆本尊に限ると断言するのですか。その証拠は何があるのですか

弘安2年10月12日と、断言できる証拠はないですよ。信者は証拠として『聖人御難事鈔』という御書の文を引き回しておりますが、それには「余は二十七年」と仰せられたという。それが弘安2年に該当するからでありましょう。けれど「余は二十七年十月十二日」とは書いてありませんからね。もし「余は二十七年」の文を証拠として「弘安二年が本懐本尊だ。総与の本尊だ」と主張するなら、御本懐総本尊は中山法華経寺と桑名の寿量寺他に、12鋪も日蓮宗で格護されています。

10月以降のは3鋪あります。

日順―日尊―日眼という興師一門の遺書から推するに板本尊は、後代の作である証拠となるのです。

板本尊は日有上人作というのが通説です。

《日志師》

板本尊(御本懐本尊)は、日有の作り事その証拠は、要法寺学頭・日志師の『宝冊』に云く、

「近世に於ける石山(大石寺)の碩学使妙日謄が友人の国学者・大塚有忠に語った言葉をのせて言うには『大石寺戒壇の本尊あり、惜哉(おしいかな)九代目日有師之を彫刻してその本紙を失す』と書いて『宝冊』ならびに大石寺の『誑惑顕本書』によると、板本尊を彫っていて病人になったから杉山に隠れたということです

《日辰師》

要法寺日辰上人の書いた『祖師伝』に述べるところによると

「永禄元年十一月五日東光寺の僧が話したところによると日有が病人になったという」

日有上人が病になったということは、大石寺法主としては、たいへん外聞が悪いから、そこで大石寺『誑惑顕本書』の記事原本には

「永禄元年十一月五日東光寺の僧が話したところによると日有が病人になったという」

大石寺の衆徒、いかにも聖筆ならば日有上人彫る道理なし、偽造なるべしと思う故になおとりなして近来(コノゴロ)日法聖人の作也と、其の故は板本尊に造立の二字有之(コレアリ)云々」

「日有上人の異病は是れ過去の罪障の致す所、本尊の故にあらずなどと妄語し、日有の難を免れんと欲すと雖も猶郡中の諸人、日有彫刻して□病になりたりと言う事、昔より今に至るまで言い伝えり」云々とある。

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日有上人は らい病

http://anti-nichirenshoshu.m.doorblog.jp/article/42991017

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